「マリネラ」としての最初の曲は一体何なのでしょうか?




「マリネラ」として発表された最初の楽曲は、以前こちらの記事 で紹介した1879年3月8日にペルーの新聞エル・ナシオナル紙に掲載された記事「もはやチレーナではない」という、マリネラという名前を名付けた記事の最後に掲載された


「ラ・アントファガスタ/La Antofagasta」です。


アントファガスタとは、この記事が書かれた1879年当時ボリビア領の港湾都市で、ボリビアとチリの関係が悪化した結果、チリが軍事占領しちゃったんですね。
その後勃発したペルー・ボリビア連合とチリによる戦争の結果、アントファガスタはチリに編入され、現在もチリ領となっています。

さて、前回の記事で紹介したように、マリネラは当時一般的にチリを意味する「チレーナ」と呼ばれていたのですが、ペルー発祥の舞踊に、同盟国の街を占領するような敵国の名前はけしからん!となり、ペルー人作家の、「エル・トゥナンテ」ことアベラルド・ガマラさんが、「マリネラ」と名付ける記事を1879年3月8日に新聞に執筆しました。  

その記事の最後に載っていたのがこの曲、ラ・アントファガスタです。


LA ANTOFAGASTA  ラ・アントファガスタ
  

Marinera     マリネラ


Dedicada al Chico Terencio     チコ・テレンシオに捧げる

Ven acá, sol de mi vida こっちにおいで、私の愛しい太陽よ
Ven salitrera de mi alma, 私の魂の硝石(の街の人)よ        
Que aunque tu madre no quiera  君の母が望まなくとも                 
Tú serás mi Antofagasta. 君は私のアントファガスタになるのだから

Desde que te he dado un beso 君にキスをして以来    
En ese tu lindo pico 君のそのかわいい唇に 
Ya no me importan tus padres, 私はもう君の両親のことなど気にならない
Negra, yo te revindico. [sic(原文ママ)] 黒い肌の君、私は君を取り戻す
※注 revindicoはreivindicoの間違いだと思われる

Te reivindico, ñata 私は君を取り戻すよ、ニャタ(鼻の低い人)               
Flor de canela シナモンの花      
Cofrecito de alhajas かわいい宝石箱       
Mi salitrera. 私の硝石(の街の人)よ     

–Que sí –que no–que cuando,  ―そうだ―違う-いつ 
–Ya voy, que me están peinando. ―今すぐ行く。彼らは私の髪を整えているから

Mientras que vienen por ti 彼らが君のために来ている間
Déjame comerte a besos, たくさんキスをさせておくれ
Ámeme cielo sin nubes 雲一つない空よ、私を愛しておくれ
Que después emplumaremos. その後に一緒に羽で飾ろうじゃないか

Déjame mirar tus ojos 君の目を見させてくれ
De mi amor, blanca azucena 私の愛する白百合の花
Ábreme tu corazón  心を私に開いてくれ
Que allí están mis salitreras. あそこに私の硝石(の街の人)たちがいる。

Mis salitreras, vida, 私の硝石(の街の人)よ、愛しい人
Vida de mi alma 私の魂の愛しい人
Tu eres toditita, 君は全てなんだ
Mi Antofagasta 私のアントファガスタ

–Que sí –que no– que cuando,  ―そうだ―そうじゃない―いつだ
–Ya voy, que me están peinando.  ―私は今すぐ向かう、彼らは私の髪を整えている。

この作詞はアベラルド・ガマラさんで、作曲はニカノール・ヌニェス・デル・プラド(Nicanor Núñez del Prado)さんです。


そしてこの記事の1週間後、1879年3月15日に上記と同じ「エル・ナシオナル紙」にガマラさんによる次の記事と、その最後にホセ・アルバラード(José Alvarado)作詞・作曲の「シルエラス・デ・チレ/Ciruelas de Chile(チリの西洋スモモ)」が掲載されました。


「マリネラ」-マリネラは猛威を振るい始めました。
 人格者であるアルバラード氏は、彼自身が作曲し以下に掲載している歌詞に作曲しました。
素晴らしい! 人気のある詩人よ! 素晴らしい! 本当に素晴らしい!
私たちは、この作詞の情熱に燃えた詩人が、他のいくつかのマリネラを作詞することに従事していることを知っています。そして私たちはそれを限りなく祝福します。
「El Chico Terencio(エル・チコ・テレンシオ)」も素晴らしくいくつかのマリネラのキャンペーンを持っています。
私たちはいずれそれらを公開します。

※注 「エル・チコ・テレンシオ」は本名「Pedro Antonio Varela(ペドロ・アントニオ・ベレラ)」という方で、様々な新聞や雑誌に叙情的で風刺的な詩を発表した多作な作家だったようです。また、サルスエラ(スペインのオペラ歌劇)の脚本を書いたりもしていたみたいです。しかし、彼がどのような「マリネラキャンペーン」を行ったのか、果たしてマリネラとして何らかの曲を制作・発表したのかどうかまでは分かりませんでした…。


CIRUELAS DE CHILE  シルエラス・デ・チレ(チリのスモモ)
          

 MARINERA  マリネラ

Letra y música de José Alvarado      ホセ・アルバラード 作詞・作曲  
          

1ª.                 1番


Ya no te quiero chilena もうお前を愛していないよチレーナ
Porque me causan recelo なぜならお前たちは私を疑わせるから
Tu conducta, nada buena 何も良いことのないお前の振る舞い 
Y el jugo de tu ciruelo…! そしてお前のスモモの果汁でさえも…!


Aunque en rica canasta 例え君が豊かなバスケットに入っている
Me des ciruelas, スモモを私にくれても 
Con lo de Antofagasta アントファガスタでのあなたのことが
Me desconsuelas...! 私を悲しませるんだ…! 


Me desconsuelas, ñata 私を悲しませるんだ、ニャタ(鼻の小さな人)
Corre, ve y dile 早く知らせろ  
Que por las salitreras 硝石を    
Da un ojo Chile. チリは狙っているぞ


Cara–coles–sin comba カラ―コレス―シン コンバ(韻)
Roto toro, saldrá bomba. ロト トロ、サルドラ ボンバ(韻)


※注 caracol…貝 comba…槌・殴打 roto…壊れた・チリ人(蔑称)
toro…雄牛 bomba…砲弾・爆弾


2ª.            2番 
Cuando yo estuve en la escuela 私が学生だった時 
Me enseñaba el a, b, c, 私はa,b,cを習った
Un roto maestro-ciruela とある無学なチリ人のシルエラ先生から 
Más testarudo que usté! あなたより頭の固い人だった


Decía con voz hueca 彼はよく      
Sobre el pupitre: 教卓からこもった声で言っていたものだ
“Chile quiere manteca, 「チリは豊かさが欲しい,   
Guano y salitre!”  グアノと硝石が!」と 
Guano y salitre, mamá グアノと硝石だって、母さん 
Como si fuera  まるで海岸から     
Coger conchas y yuyos 貝や海藻を獲るかのように  
En la ribera                    


Ahí –se va–su flota このように-行くんだ-やつらの船は
Con los rotos… siempre rota いつも壊れてやがる(疲れ果てた)…チリ人を乗せて




3ª             3番
Hoy las peras y ciruelas 梨とスモモは今    
Caro cuestan a Bolivia  ボリビアでは高価だ   
Y los huasos tantas muelas そして歯がたくさん生えた田舎者どもは
Las pasan por agua tibia! それらをぬるい湯で温めてやがる!


Si no hay pero que valga, 何もないけど何か使えるものを
Los bolivianos ボリビア人たちは
Les lanzarán su galga 奴らに投げつけるんだ
Con ambas manos 両手を使って
Con ambas manos, taita 両手でだよ、タイタ(お父さん)
Pongan curtiembre 皮をなめしておくのだ
Los que asocian sus glorias            
De su Setiembre 9月の栄光を勝ち取った人々よ
  
Dime –Chile–¿qué hay de eso? 教えてくれ-チリよ-いったいそれが何になるんだ?
Ya no me gustas- por leso!  お前は私を嫌いにさせたのだ-その愚かさによって!


4ª               4番
De fanfarronadas basta, 精一杯の虚勢で  
No me inflames el carrillo 私の頬を燃やすのはやめろ 
Pues si marcho a Antofagasta だから私は進軍するのだ、アントファガスタへ 
Tengo que hacerte huesillo! お前を骨屑にしなければいけないから


Si tus ciruelas tienen お前たちのスモモが
Miel hasta el hueso, 種まで蜜をもっているなら(韻)
Mis huesillos contienen 私の骨には    
Trampa con queso. チーズを持った罠が含まれているぞ(韻)
  
Trampa con queso, mi alma チーズの罠さ、愛しい人よ
Ya te lo digo 私はお前にそのことを告げた
Invasor codicioso 貪欲な侵略者よ
No es buen amigo! 奴はもう良い友人なんかではない!


Linche –con lonche–en lancha リンチ(韻)を加えろ - 軽食(韻)と共に - 船で(韻)


Cuidado con la revancha! 復讐に気をつけるがいい!



どうですか? めっちゃ怒ってますよねー。笑
このように、マリネラ(水兵)という名前は当初、ガマラさんやホセ・アルバラードさん達のチリへの拒絶感から生まれていったことがよく分かりますね!

そして、上記の「La Antofagasta」マリネラとしては最初の曲という事になり、その次が、「Ciruelas De Chile」という事になります。

しかしこれらの曲、歌詞はこのように残っていますが、楽譜が無く、どのような曲だったのか分からないんです…。なので当然ながら現在のコンクール等では演奏されませんし、なじみがないんですよね。音節の構成等も現在のマリネラとは大きく異なります。


そのため、ペルー人に「最初のマリネラってなに?」と質問をするとほぼ100%の方が

ラ・コンチェペールラ/La Concheperla

だよ! と答えます。



このラ・コンチェペールラという曲は、ペルー人の誰もが知っているマリネラ・ノルテーニャを最も代表する曲で、「ラ・デカナ/La Decana(最古参者・シンボル的存在)」とも呼ばれます。もちろん現在も様々なコンクールでは、ほぼ必ず演奏されています。

この「ラ・コンチェペールラ(La Concheperla)」は、上記の「ラ・アントファガスタ」が発表されてから13年後の1892年に、同じくエル・トゥナンテ(アベラルド・ガマラ)の作詞、ホセ・アルバラードの作曲で制作されました。

元々、アベラルド・ガマラ(エル・トゥナンテ)ホセ・アルバラードさん達は「マリネラ」という名を不滅のものとするため、「マリネラ」を代表するような曲を楽譜付きで発表したいと思っていました。そこで、ガマラさんはホセ・アルバラードさんが作曲した「La Zamba」という曲に作詞し、この曲を楽譜にしようと考えましたが、2人とも楽譜の知識が不足していたため、誰か楽譜を書き起こせる人物を探していたようです。

しかし、当時のリマ社会の音楽界は保守的で、高度な音楽の知識がある方々はクラシック音楽に専念しており、大衆的な音楽を見下していたようで、そのような楽譜を作ることが出来る協力者を見つけるのは難しかったようです。

そんなある時、ガマラさんはリマ出身の天才少女によるピアノのコンサートに出席しました。この少女の名はロサ・メルセデス・アヤルサ(Rosa Mercedes Ayarza)。当時彼女は12歳という若さでした。そのコンサートでピアノの演奏に感銘を受けたのか、ガマラさんはこの少女と両親に自らの考えを話し、自分が作詞した曲を楽譜に書き起こしてもらうよう頼んだそうです。そして、自ら作詞したホセ・アルバラードの曲をハミングし、ロサ・メルセデスさんはそれを2/4拍子で譜面に書き起こしたそうです。現在のマリネラは6/8拍子のリズムなので、現在とは大きく違いますね。


その後、1899年にガマラさんの著書「Rasgos de Pluma」の中で、この曲は「Rasgos de Pluma "MARINERA"」というタイトルとして楽譜付きで発表されました。その数年後、2度目の楽譜の発表で「Marinera "La Decana"/マリネラ(ラ・デカナ)」として登場したそれは、歌詞の一部から取って「ラ・コンチャ・デ・ペールラ/La Concha de perla」(真珠貝)と人々から呼ばれるようになり、その後「La concha’e perla」または「La concheperla(ラ・コンチェペールラ)」と口語風に省略されて呼ばれるようになり、有名になりました。

つまり、歌とピアノの伴奏によって本格的に構成された

最初のマリネラが、この「La concheperla」

となるわけですね。また、

現在演奏されている中で最も古いマリネラ

という事もできます!

では、この「La concheperla」が「Rasgos de Pluma”Marinera”」として最初に発表された時の歌詞を以下ご紹介します。



“RASGOS  DE  PLUMA”  「ラスゴス・デ・プルマ」

        MARINERA      マリネラ          

Acércate preciosa       おいで、美しい人

que la luna nos invita    月が私たちを招待した

sus amores a gozar.      愛する人々と楽しむために

 

Acércate preciosa       おいで、美しい人

Concha perla de mi vida,   私の愛しい真珠貝よ

como no la brota el mar.   海から湧き出て来ないように


Abre tu reja        君の柵を開けてくれ

por un momento       少しだけでも   

decirte deja        そのままにしておいてくれ

mi pensamiento        私の気持ちを   

 

 Si oyes benigna      もし君に聞こえたなら

mi inspiración      私の穏やかなインスピレーションが

si la crees digna ¡zamba!   もし君が相応しいと信じたなら サンバ!

de tu atención        あなたの注目に


ahora no te vas     今、君は行ってしまわない

si tienes plata mañana te irás  もしお金があれば、明日にも行ってしまうだろう

ahora no te vas     今、君は行ってしまわない

si tienes plata mañana te irás  もしお金があれば、明日にも行ってしまうだろう

si no la tienes mándate mudar もしお金を持っていないなら、どこかへいってしまえ

 

Abre tu reja            君の柵を開けてくれ

por un momento            少しだけでも

decirte deja           そのままにしておいてくれ  

mi pensamiento            私の気持ちを 

 

 Si oyes benigna        もし君に聞こえたなら

mi inspiración          私の穏やかなインスピレーションが

recibe en premio         賞品を受け取って

la fineza de mi amor         私の愛の贈り物  

de la luna el resplandor        光輝く月からの   

¡Ay! la fineza de mi amor     あぁ! 私の愛の贈り物





しかしこの「La concheperla」、いまいち分からないことがいくつかあります。例えば、曲のタイトル名の変化の時系列が正確ではないかもしれません。というのも、このあたりが文献によってこれがまちまちなんですよねー。笑

調べた限り、自然な形だと

「La Zamba」→「Rasgos de Pluma "MARINERA"」→「La Decana」→「La Concha De Perla(La Concha’eperla)」→「La Concheperla」


という名称の変化だと思っていたのですが、ホセ・アルバラードさんの「La Zamba」をガマラさんが作詞するときに

「La Concha De Perla」というタイトルに変更した

と書いてある文献があり、そうすると

「La Zamba」→「La Concha De Perla」→「Rasgos de Pluma "MARINERA"」→「La Decana」→ その後は人々によって名付けられた「La Concha de Perla(La concha’eperla)」→「La Concheperla」

となるのですが、それだったら最初に発表するときに何故そのタイトルを付けなかったのか?と思うんですよね。

そして、どの文献にも「”La Concheperla”という名前は、人々によって名付けられた」と書いてあるのですが、名前が変化したきっかけや、どのようにして変わっていたのか、といった部分の納得できるような言及は、文献を見た限りありませんでした。

また、「La Decana」という名前もいつ、どこで、どのように発表されたのか、も正確に言及している文献も、探した限り見つけられませんでした。

誰が気にすんねん!ってぐらい細かい疑問なのですが、またコロナ禍が終わり次第、資料を探して調べてみます。笑


参考文献

Hervias Sagástegui,Valeria Lucia (2017). "LA MARINERA NORTEÑA Y SUS COMPONENTES DANCÍSTICOS TRADICIONALES UTILIZADOS EN LOS ESPECUTÁCULO FOLKLÓRICOS Y SU INFLUENCIA EN LAS VISITAS TURÍSTICAS DEL DISTRITO DE TRUJILLO": Universidad Nacional de Trujillo , <http://dspace.unitru.edu.pe/bitstream/handle/UNITRU/10196/HERVIAS%20SAG%C3%81STEGUI%20Valeria%20Lucia%28FILEminimizer%29.pdf?sequence=1&isAllowed=y> (最終閲覧2020年8月28日)

 

Pajuelo Milla,Gloria María (2019). "Las variaciones del arquetipo criollo en dos cuadros costumbristas de Pedro Antonio Varela, de Gloria Pajuelo" ,<https://redlitperu.files.wordpress.com/2019/07/artc3adculo-de-artc3adculo-de-gloria-pajuelo-1.pdf>, RED LITERARIA PERUANA.(最終閲覧2020年8月28日)


Salazar De Paz, Luis (2013).”LA MARINERA NACIÓ EL 8 DE MARZO DE 1879” , MÚSICAS DEL PERÚ música peruana, temas: <https://folcloremusicalperuano.blogspot.com/2013/03/la-marinera-nacio-el-8-de-marzo-de-1879.html>(最終閲覧2020年8月28日)



           


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