マリネラの起源は?


マリネラの起源は、18世紀後半にリマの下町で踊られるようになったサマクエカ(Zamacueca)という踊りに遡ります。
そして、このサマクエカの起源については、はっきりと分かっておらず、主に以下の3つの説があります。
  • ペルー先住民の舞踊説
  • スペインの舞踊が形を変えたもの説
  • アフリカ人奴隷の舞踊説
このように諸説ありますが、ペルー先住民文化とアフリカ系黒人文化、スペイン文化がいつの間にか混ざり合い今日のマリネラが形作られているのは誰もが認めるところです。

マリネラという名称

サマクエカの人気はリマ庶民の間にとどまらず、ペルー全域はもちろん、アルゼンチンやボリビア、チリまで広まり南米各地で大流行しました。そして、アルゼンチンでは「サンバ(ブラジルのじゃないよ!)」、チリやボリビアでは「クエカ」と呼ばれるようになりました。特にチリ人はこの踊りを気に入ったようで、チリで大流行したそうです。そしてチリでは独自のクエカが踊られるようになり、「クエカ・チレーナ」もしくは単に「チレーナ」とも呼ばれるようになりました。
もともとサマクエカはペルー国内で「サングアラーニャ」や「モサ・マラ」、「レスバロサ」、「バイレ・デ・ティエラ」、「サフリアナ」等といった様々な名前で呼ばれていて、いつの間にかチリを意味する「チレーナ」という名前も使われるようになりました。

しかし、残念なことに19世紀後半にペルーとチリは色々あって戦争をしてしまい、その結果ペルーは敗戦してしまいます。そうなると当然ながら「ペルー生まれの舞踊が敵国の名前で呼ばれるのはけしからん!」となりますよね。こうしたことから、チリと勇敢に戦ったペルーの水兵を称えるため、舞踊の名前をスペイン語で水兵を意味する「マリネラ」と呼ぶようになったのです。

代表的なスタイルとなったノルテーニャ

こうして名称が定まったマリネラは、上流階級から一般庶民の間でも踊られ、ペルー全土へ広がっていきます。そして首都のリマ、北部沿岸地方、アンデス山岳地方でそれぞれ独自のスタイルが生まれ、発展を遂げていきました。

このように、ペルーでは各地域でそれぞれのスタイルとしてのマリネラが発展していきますが、1960年から始まったコンクール化によって決定的な地位を築いたのが、北部海岸地方様式のマリネラ・ノルテーニャです。コンクール化によって、ノルテーニャのスタイルは他のスタイルよりも洗練され、より躍動的に進化し、ペルー全国で爆発的な人気を博しました。




現在では、このマリネラ・ノルテーニャは首都リマをはじめ、ペルー国内に留まらず世界各国でコンクールが開催されているほど発展し、いつのまにかペルーを代表する舞踊となりました。
1986年1月30日、マリネラの各地域スタイル全ての舞踊形式および音楽形式が、ペルー国立文化研究所(INC)によってペルーで初めての無形文化遺産と定められたほどです。

ペルー人作家であるフェルナンド・ロメロ(Fernando Romero)は「マリネラは本来ペルー海岸地方の踊りではあるが、もともとの民族にさまざまな民族文化が混ざり合っていることで本物のペルーの踊りになっている。」と評しています。つまりマリネラとは、先住民族の豊かな歴史や文化の上に様々な民族及びその文化が融合しているペルーという国そのものを表す、まさにペルーを代表する伝統舞踊なのです!


↓マリネラの歴史についての記事はこちら!↓


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