ペルーに来てからというもの、夫婦でよくNHKを見るようになりました。
ペルーのテレビ番組ってあまりおもしろいと思うのが無くて…。笑
私たちが契約しているケーブルテレビでは、NHKの海外向け日本語放送(NHKワールドプレミアム)を見ることができるので、見るものが無い時はよくNHKを見ています。
日本にいたときはあまり見ていなかったNHKを見るようになってから、夫婦で相撲好きになりました。笑
他に、自分のお気に入りの番組は「世界ふれあい街歩き」と、「新日本風土記」、「NHK俳句&NHK短歌」、「ねほりんぱほりん」です。特に「世界ふれあい街歩き」は昔から大好きな番組だったので、海外向け放送で流してくれるのは嬉しい! また「NHK俳句」に至っては、ちょくちょく自分で考えた俳句を投稿したりしてます。 まだ読まれたことはないですけどね。笑
なんか全体的におじいちゃんの趣味みたい…。笑
まだ20代なんですけどね。笑
他にも、最近話題になっていた大河ドラマの「麒麟がくる」を時々見てて、織田信長の喋り方を真似して喋る、というのが私達夫婦のブームになっていたりもしました。笑
あと、今は特に朝の連続テレビ小説「おちょやん」を毎日夫婦で楽しく見ています。
NHK連続テレビ小説「おちょやん」より |
皆さんは「おちょやん」ご覧になっていますか? ざっとどんな物語か説明しますと、
明治の末、大阪は南河内の貧しい家に生まれた竹井千代(たけいちよ)という少女が主人公のドラマです。
千代は幼いころに母を亡くし、博打&酒ばかりのどうしようもない父親のテルヲと、幼い弟のヨシオと3人で暮らしていました。家は貧しく、千代は小学校にも満足に通わせてもらうことができず、9歳のときに半ば家を追い出される形で、道頓堀の芝居茶屋に女中として奉公に出されます。
そこで目にした華やかな芝居の世界に魅了され、彼女は女優を志し、芝居の世界に飛び込んでいく。
といった内容のお話です。
そこで最近、とても印象に残った話がありました。
千代は紆余曲折を経て、道頓堀で一平(いっぺい)という幼馴染が座長を務める新しい劇団「鶴亀家庭劇」に参加することになりました。しかしそこには客を笑わせるために、いつもアドリブばかりする千之助(せんのすけ)という喜劇役者がいました。いつも台本に無いことを毎回平気でやってしまう千之助に対して、彼のアドリブにいつも振り回される千代や他の役者たちは反感を持ちます。
千代はあるとき、千之助が他の役者たちを馬鹿にしたことに対して「それは違う」と反発します。そんな千代に対して、千之助は「悔しかったら、わしより笑いをとってみい」と千代を挑発し、それに対して千代は「やったろやないけ」と勝負を受けて立ちます。
勢いで勝負に乗ってしまった千代は、天才的な才能を持つ千之助にどうすれば勝てるのか、全く見当がつかず悩んでいました。
そこへ、千代にとってお芝居の師匠である山村千鳥(やまむらちどり)という女性が現れ、彼女は千代や他の役者たちに
「演じるという事は、役を愛した時間そのもの。」
とだけ答えて去っていきました。
当初、その言葉を聞いてもピンとこなかった千代ですが、ある時、ふとした瞬間にその言葉の意味に気付きます。
それは、演じるという事は「役に成り切る」ということ。そして、そのためには自分が演じる役をしっかり掘り下げなければいけないということ。
そのことに気付いた千代は、自分が演じる役の、台本には書かれていない背景や設定を考え始めます。
つまり、それが千鳥の言う「役を愛した時間」ということだったのです。
役の背景や設定、人物像をしっかり自分の中で作り上げた千代や他の役者たちは、千之助のアドリブに対して慌てることなく、自分の役のままさらに話を膨らませることができました。その結果、お客さんの反応も上々で、千之助は千代や他の役者たちのことを認めざるを得なくなります。
と、こんな感じの話だったのですが、これを見た時、この「役を愛する」という言葉は、マリネラにも通じるなぁーと、ハッとさせられたんですよね。
「あんた何言ってんの?」って、思いましたよね?笑
どういう事かと言いますと、
まず、競技ダンスとしてのマリネラは基本的に即興で踊ります。
しかし、1から10まで全て即興なのかというと、決してそういう訳ではなく、基本的にダンサーは、踊りのベース・骨格となる振付けをあらかじめペアで決めて練習し、それを本番に流される曲に合わせて、それぞれの解釈で形を変えて踊ります。
これがマリネラの魅力であり、難しさなのです!
マリネラを始めたばかりの方は、私達もそうだったのですが、あらかじめ決めた振付けをどんな曲が来てもほとんどそのまま踊ります。
というか最初はそれしかできません。
習い始めたときには、何が流れるか分からない曲に合わせてペアと自由に踊るなんて難しすぎるからです。
マリネラの競技人口がまだ少なく、レベルがまだ高いとは言えない日本のコンクールなどでは、ほぼ振付け通りに踊っても勝てたりします。というか私たちもそれで勝ってきました。
しかし、ペルーではもっと即興性や曲に合わせてペアとコミュニケーションをとりながら踊る、ということが求められます。
夫婦で毎日一緒にいて、毎日一緒に練習している私達でさえも、即興で踊るとずれることが多いのですから、どうすればお互いがコミュニケーションをとりながらうまく踊れるだろうかと、ペルーに来てからよく悩んでいました。
そんな時にこのドラマの「演じるという事は、役を愛した時間そのもの。」という言葉で自分自身ハッとさせられたんです。
振付けや、技の技術だけではなくて、マリネラも演じるという事が大切
そして上手く役を演じるためには役を愛し、役に成り切らなければいけない。
そもそもマリネラとは、男女の恋のストーリーを表現するダンスです。男女それぞれ演じる役があります。優雅で・強く・気品高く・美しく・芯があり・自信たっぷりで簡単に男性になびかない女性の役と、そんな女性に魅了され、優雅で・紳士で・親切で・女性に振り向いてもらおうと必死でアピールをする男性という役です。
女性は男性を誘惑したり、思わせぶりな態度をとったり、かと思ったら急に突き放したりと、いわゆるツンデレな態度をとり続けます。男性はそんな女性に振り向いてもらおうと必死で追いかけます。そんな二人は、いろんな駆け引きを繰り返しながらも、互いに恋する喜びにあふれています。まるで互いにこの恋の結末を確信しているかのように…。
そして最終的に男性は女性に対してひざまずき、この恋の形を完成させます。
マリネラというダンスはこのようなストーリーがあり、言ってしまえばそれをどのように表現するかで競っています。もちろん技術が沢山あればそれだけ表現の幅が広がりますし、美しい技術はそれだけで多くを語ります。
しかし技術はあくまで「道具」でしかなく、マリネラにとって最も大切なことは、どのようなストーリーを演じるかという表現力です。
例えば一人で踊るならば、自分の持つ技術を最大限使って自分だけの表現をすればよいですが、これがペアで踊るとなると自分の表現や曲への解釈だけでは相手と美しい形を作ることができません。自分と相手と曲という関係性の中で表現しなければいけません。
つまりマリネラというのは、簡単なストーリーの設定と確実な結末が書いてあるだけの台本で演じる劇のようなものなのです。そして曲は、言わば自動で展開していく舞台セットのようなもの。舞台セットがどんなものになるかを演者は知らされません。幕が上がると、自動で動く舞台セット(曲)の雰囲気を損なわないように、男女が互いに決まった結末に向かってアドリブで演じ合う。それがマリネラです。
幕が上がると同時に現れ、、自動で情景が変わる舞台セット(曲)に応じて男女がアドリブの恋愛劇を演じる…。
そら難しいよなぁ。笑
なのでマリネラというのは、自分の踊りを続けながら相手のアドリブに答えたり、逆にアドリブを仕掛けたりと、とても集中力が必要な踊りなんです。
そして、時にはお互いに表現したい事や、舞台セットの情景(曲)への解釈が違ってずれが発生してしまう事もあります。そんな時こそ、お互いの役をしっかり演じ切ることができれば、そのずれは決してミスにはなりません。恋愛というものに、気持ちやコミュニケーションのずれはつきものですもんね。むしろずれるのは自然なことです。
そこで演じる事をやめず、お互いを受け入れ合いながら演じ切ることができていれば、むしろそのずれを深みのある自然な表現へと昇華させることができます。一方、ずれに対して、焦って我に返ってしまい、ただのコンクールの参加者になってしまうと、不自然な振付けで解決してしまいます。すると、このずれはミスとなってしまいます。
お互いが自由で、楽しく演じることができ、ずれはあっても決してミスが起こらない踊り。
これが私たちにまだまだ足りない部分なんだなぁ、と気付きました。
普段から意識していると色んな事が気付きになったり、ヒントになりますね。
マリネラを踊るということは、振付けをこなすのではなく、演じるということ。
明日からもまた頑張ります!!
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